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「ササニシキ」5歳

ずいぶん旧い話だし、内容もいま読むと、濃い愛情がべったりで気恥ずかしいかぎりだけれど、子供を持っていれば、かならず一度は通過することを書き留めた記念として、恥ずかしさをこらえて載せることにした。
1996年当時の、母親の気持ち。


11月で、長男の「ササニシキ」が5歳になる。

私は「ササニシキ」のことを、5年前に生まれでた瞬間から今日までまったく変わらずに愛しつづけてきた。
頭からずるーっと引っぱり出され、「ハイ男の子」と抱え上げられ、分娩台のすぐ横に寝かされた生まれたての子を見て、「わあーかわいいわあ!」と大声を出したことを覚えている。
「人生のなかで一番幸せだったのは今まで結婚式の日だったけど、今では「ササニシキ」が生まれた日が一番幸せな日だわ、結婚式の日は二番に下がっちゃった。」
と、小さい「ササニシキ」をいつまでも飽きずに眺めながら考えたりしたものだった。

あの日から今日まで、一日のうちに「ササニシキ」のことを一度も「かわいい」と感じずに終わった日は、ない。

歩けるようになったころは、「ササニシキ」を外に連れ出すのが自慢だった。
にこにこして愛嬌があり、必ず何人もの人から「かわいいわねえー。」と言ってもらえるからだ。
あのころの私は、「ササニシキ」にとにかくよく笑わされていた。

3歳になり、幼稚園にはいると、今度は泣かされるようになった。
悲しいことでではなく、感激させられるからである。
3歳児くらいになると、だんだん自分の子がスーパーマンじゃないということがわかってくる。
どうもウチの子は運動神経が鈍そうだ。
容姿も、背が高いだけであとは人並みだ。
協調性も統率力もなさそうだ。
先生にちっともなついてない・・・。
うちの中にいただけではわからない粗がどんどん見えてくる。
どんどん失望し、情けなくなってくる。

けれども馬鹿な子ほどかわいいとはよく言ったものである。
あれは、馬鹿だということがかわいいという意味ではなく、馬鹿だからこそ、何かがちょこっとできただけで人一倍感動できる、という意味だと思う。

「音楽会」や「お別れ会」などの行事で、緊張で硬くなった表情のまま、色白のほっぺたを真っ赤にして演じている「ササニシキ」を見たときにはほんとに泣けた。
それどころか、11月生まれの「お誕生会」で、全園児の前でマイクを持って
「かないやいちくみ(かなりや一組)、みたに、ささにしき」
とゆっくり大きな声で名前を言えただけでも、あんなに内弁慶のへそ曲がりな子が、
まあなんと上手に言えたことだろう、それにしてもこうして改めて遠くから見るとなんて頼りなくてかわいらしいんだろう、と、もう胸がいっぱいになってしまうほどなのである。

2歳のころまでは、ただ食べたいくらいにかわいい、目の中に入れても痛くない、という単純な性質の愛情であった。
しかしやがて幼稚園児になって、体もたくましくなり、行事で立派な姿を見せられたり、意外なほど大人びた発言や表情をしたりするのを見るようになると、曇りのなかった愛情がだんだんと切なさを帯びてくる。
もうすぐ、もうすぐ行ってしまう、男の子は突然親を突き放す。
えくぼのくっきり出るお餅みたいなほっぺたに触れることもできなくなる。
人前で臆面もなく「おかあさーん」と呼びかけたり、買い物や添い寝のときに小さい手でそうっと私の手をつかんでくることも、しなくなる。
やがて私に笑顔を向けることさえ厭うようになる。
それが当たり前なのだ、そうでなくては気持ち悪いのだ、だからこそ残された時間の、なんと愛しいことだろうか。


最近私は、「ササニシキ」の性格について非常に心配している。
こういう表し方が適切かどうかわからないが、なんだかこのごろの「ササニシキ」は、「卑屈な感じ」がする。
このままいくと、中学生くらいにはけちな不良の手先にでも成り下がるんではないかという危うさを感じる。
とりこし苦労だといわれそうだけれど、子供の将来を心配するのは親の仕事のひとつみたいなものなのだ。

2歳10ヶ月のときに弟の「アキタコマチ」が生まれたことが、彼の人生で最初の試練だったにちがいない。
私にとっても、「ササニシキ」との関係においては試練の始まりだった。
「アキタコマチ」の身の安全を守るため、「ササニシキ」を毎日毎日厳しく叱るようになった。

「アキタコマチ」が動き出すようになると、意味もなく「アキタコマチ」を叩いたり、足をつっかけて転ばせたり、おもちゃを暴力的にむしり取ったりする「ササニシキ」が憎らしいし情けなくて、私のほうも彼を蹴ったり殴りつけたりした。
まだ彼も赤ちゃんなのだ、と自分に言い聞かせながらそれでもやはり、どうしてこんなにひどいことを小さい赤ん坊にできるのか、やさしく育てたつもりなのにおまえには小さいものに対するやさしさがないのか?
「ササニシキ」と自分への不甲斐なさでついつらく当たってしまう。
世間にとてもよくある母子の葛藤のパターンに、私たちもやすやすとはまりこんでしまった。

今、「ササニシキ」は、何かうれしいことがあると、こちらの耳がじんじんとあとまで痛むくらいの大声を張り上げて病的な馬鹿騒ぎをする。
希望が叶えられないと
「ああーっ!おかあさんてやな人!わるい人!」
とやはりヒステリックに連発するし、つまらないことですぐ泣きわめく。
こういうのを情緒不安定というのだろうか。
おおらかにのびのびと育っていってほしかったのに、どんどん違う性格になっていく。
弟ができた当初は、赤ちゃん返りというやつだろうと思ってさほど気にしていなかったが、それにしてはずいぶん長い。
私がいけないのだろうか。


今年の夏休みに、アメリカに住んでいる私の姉が数日泊まりに来て、すっかり気を悪くして帰っていったことがあった。
その理由は、私の、姉に対するものの言い方が、人を馬鹿にしたような感じできつすぎる、というのである。
「ササニシキ」が卑屈なのもおまえがそういう態度で怒るからだ、おまえの口のききかたが「ササニシキ」を追いつめたのだ、とも言われた。

この指摘は相当胸に応え、落ち込んだ。
うすうすそうなんじゃないかなとは思っていたけれど、やはり「ササニシキ」の性格を曲げたのはこの私なのだ、という自責の念が離れなくなった。
今までの叱り方がまちがっていたのか。
これまでの、怒鳴りつけたりしたことをしきりと思いだして、いやな気持ちになる。
素直に、悪かった、次はちゃんとしよう、と思えるように仕向けていくのが親としての正しい叱り方のはずなのに、すぐにきつい言い方をして、気持ちをへこませてしまう。

私のほうは「ササニシキ」に毎日のようにお腹の底から笑わされ、涙の出るほど感動させられ、
かわいいなあーとしみじみさせてもらっているのに、一体、「ササニシキ」の心のなかに、
おかあさんである私はどういう姿で映っているのか、と想像すると、寒々しくなってくる。

人間ひとり育てるのって、ほんと真剣勝負だ。
あまりにも途切れなくずうっとずうっと続くものだから、ついそれを忘れがちになるけれど、やはり、大人になってから、母親に殴られた記憶よりもやさしくしてもらった思い出のほうを、
心に残してもらいたい。
何ものにも代えられない真剣さで愛しつづけてきた子供に、いやな自分だけを記憶されたのではあまりにも悲しすぎる。
もしそうなってしまったら悔やんでも悔やみきれない。

私の母は、父が亡くなってからは、疲れのせいでしょっちゅういらいらして癇癪を起こしていたけれど、父が生きていたころ、私が「ササニシキ」くらいにうんと幼かったころの母の姿を思い出すと、やさしくかわいがってもらったことばかりが浮かんでくる。
今、この子育てで悩めるときに思い返すと泣けてくる。
やっぱり私は母には一生頭が上がらない。

母親のやさしさは、子供が大人になって人の親になるときへの、遠いおみやげだと思う。
「ササニシキ」の子供っぽいかわいらしさなんて、どうせもう秒読みだ。
少年になり青年になり、その間母親をうとましがってそっぽを向き続けてもかまわない。
いつか、
「自分は生まれた瞬間から今このときに至るまで、まったく変わらない重さでこの母親に愛されつづけてきたのだ」
と気づいてほしい。


「ササニシキ」が5歳になる一つの記念として、この文章を書いてみた。
読者の方は子供のいない方が多いかもしれないが、誰でも母親から生まれてきたということだけはまちがいないので、私の気持ちをちょっと分かってもらえるといいなと思っている。



考えこんでますね>私。
まあ、いまやだいたい、この悩みは過ぎてしまったのだ。
そしてまた新たな悩みが・・・ああ・・・

by writingkids | 2005-03-10 09:52 | 共作・子育ての話